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受験生はボトラーだったらしい『科挙―中国の試験地獄』感想

著者 : 宮崎市定
発売日 : 2003-02-25

科挙―中国の試験地獄』宮崎市定(中公文庫BIBLIO

かれこれ5年以上読みたいと思っていて、ようやく手に取った。

新書の方もあるが、手元に来たのが文庫の方だった。

科挙――覚えてますか?世界史の授業でお目にかかるこの単語。

 

さて読んでみるとこれが、歴史学とは何ぞやということを示す名著である。

これが中国史の大家の文章か…こんなにすっと入ってくるとは思わなかった。

「ここではAをBとして話を始める」という風に進めていくので読みやすいし文章も小気味よい。

科挙にもカンニングあったんだって、とか、めっちゃ年齢ごまかしてる受験生いたんだって、とか、試験会場で幽霊騒ぎがあったんだって、とか、科挙の受験生ってまさかのボトラーだったんだって、とか、人に言いたくなる豆知識もついた。

あまりのスケールの大きさ、仰々しさ、途方もなさに笑いすらこみあげてくる。

 

科挙に対する評価の章では、以下のような文章がある。

 

>しかし単に悪口の言い放しでは歴史に対する真の評価とはいえない。本当に正しく歴史を理解するためには、いちど対象をのりこえて、もっと大処高処に立って全体的な立場から考察しなおす必要があろう。(P230)

 

>いうまでもなく、軍隊は国家を保護するためにこそ存在すべきで、それが国家、国民の支配者になられてはたまらない。(略)いったん政治権力を握ってしまった軍隊が、どんな速度で堕落腐敗するものかは、すでに、何度か証明ずみの事実である。(P232)

これは大事な一節ですね。

 

古代中国では政治家=軍人だったが、軍人ではなく試験で募った優秀な人物を中央で登用する科挙の制度は、軍人勢力を押さえて中央が確実に指揮権を握っておくという点において優れているとしている。

1984年初版の本だけど、現代の我々にももちろん有用なメッセージである。

 

>もともと教育に金がかかることは当たりまえのことであり、その設備が少ないということは、何としても政治力の不足に原因している。えてして世の親たちは個人的な負担、たとえば予備校へ通う費用ならば何年でも我慢するが、全般的な教育への投資にははなはだ不熱心である。そしてただ個人の立場で問題を解決しようとするのは、まさに自分だけよければいいという科挙受験者の態度である。(P241)

 

政治家の皆さん、子供にいい教育を受けさせたい親御さん、全員読んでください。

また、著者の故郷である長野県は古くからある程度多くとった分の税金を公共の教育設備に充てたことで教育に関する土壌が整った歴史があり、それが底上げになるという話もあった。それはそうだと思う。各自余裕がないのは確かなのだが。

科挙ではやはり家の経済力がものを言ったそうだ。受かったら受かったでお祝いやその先の準備に金がかかるし。本当に現代も変わっていない。

全員で上がっていこうぜ、という余裕がなくなると格差が広がっていく…という弱点を現代人もまだ克服できていないのだ。

ということを考えると歴史学って大事だよなあと月並みながら思う。

 

最後に余談なのだが、巻末の海外誌による解説が異様に辛口だった。
海外の批評家は批評と言えばここが欠点でそれをどうするべきかのアドバイスをしなくてはいけないと思っているのだろうか?

絶賛の解説しか目にしないし解説とはそういうものだと思っていたので驚いた。
いやでも例えば海外の就職の紹介状なんかは絶賛も大いにするイメージもあるし、とにかく極端というか強い言葉が好まれるのかも。

 

本棚に置いておきたい本なので、図書館で借りた後に買いました。