すべては漂っている

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あなたもきっと忘れていたことを思い出す『まぬけなこよみ』感想

私の最も好きな作家さんである津村記久子さんの歳時記エッセイ『まぬけなこよみ』(平凡社・2017年)が文庫になったので、単行本も持っているけどこちらも早速買って読んだ。(※挿絵のイラストレーターさんが単行本と文庫で違うのでどちらもオススメ)

 

担当編集さん?が提示した季節を表すことばから津村さんがひとつピックアップし、短いエッセイとして連載していたもの。

調べてはいないが、文庫化に際して多少の書き換えや追記があると思われる。

(例・コロナのことなど)

連載初期は津村さんがまだ兼業作家として一般企業に在職中だったり、離職後間もなかったりしていて、多少リアルタイムとの剥離は感じる。逆にこんな数年で世の中って少しずつ変わっているんだな。

というか私が津村さんのファンすぎて、すべての著作とかなりのインタビューを追いかけているので、この小説を書いていた頃にはもう会社員の仕事を辞めているとか、今は住む場所が変わっているとか知りすぎているのだ。

 

まず自分にとって興味深いのは、初詣、十日えびす、花見、おでんなどのエピソードに登場する関西のスポットや文化たちだ。

来年の初詣は行ったことのない関西の神社に行ってみようかなと思う。まだ今年が始まったばかりなのに。えびすさんも楽しそうだ。ぜひ体験してみたい。ベビーカステラがおすすめらしい。

「この袋(ベビーカステラのえびすさんイラストの袋のこと)で誰かにCDを貸したい」という感性はうまく言えないけど私も持ち合わせているもので、そういう共感がまた好きなんだよなーと思う。

いつか津村さんの小説に出てくる大阪のスポットをめぐる旅に行きたいと思っている。

おでんは関西では関東煮(かんとだき)と呼ぶってこの本で初めて知ったのですが本当ですか?

 

読んでいて思うことは、本当に昔のこと、特に子供時代のことをよく覚えておられるなということだ。

「王国」という短編があって(『サキの忘れ物』2020年・新潮社に所収)、子供が自分のかさぶたに王国を見出すという話でとても好きなのだけど、それを読んだときに、子供の思考回路をここまで克明に表現できるとは小説家恐るべしと思ったのだが、今回『まぬけなこよみ』を改めて読んでまたその感嘆をおぼえた。

巻末の解説の方も言っていたけど、私のような一般人の昔の記憶の引き金になる文章が書けるのが津村さんのすごいところだ。

なお、ご本人はあとがきで、歳時記と言ってもそうそうぴったりなエピソードのある暮らしでもないので、過去の人生を総動員して書いているというようなことを言っていた。

私は『まぬけなこよみ』を読まなかったら思い出さなかったようなことをたくさん思い出した。

私は幼少の頃、星座の図鑑を読んでいて津村さんと同じく自分の星座に一等星どころか二等星も三等星もないことを気にしていたのだが、自分もそうだった!!と稲妻に打たれたように思い出した。今にして思えばなんでそんなことを…と思うけど、あの頃は真剣だった。あのような切羽詰まった感じは大人になった今はもうない。切羽詰まった状態というものがあるとしたら子供の頃より当然深刻なので、とても耐えられそうにないため、あえて切羽詰まらないように生きているといったところだろうか。

他にもようち園の卒園式でお休みで会えない友達がいて悲しかったこと、その日にもらった担任の先生手作りペンダントの色形、その子とたまたま高校で再会できたこと、中学の卒業式のあとに合格発表があったこと、その日は雪だったこと、進路が別れてしまう友達と子供だけで遠くの遊園地に行ったことなどなど。

もうすべてが雪崩のように押し寄せてきた。

 

『まぬけなこよみ』を読むと、昔の自分や妙にこだわっていたことなどが高確率で思い出されること請け合いです。