すべては漂っている

本や日々のことについて書きます

今年印象に残った本2025

2025年も終わりなので今年印象に残った本を書き出してみようと思う。

 

1 『この村にとどまる』マルコ・バルツァーノ(2024)

島国に住んでいると言語の違いというかすぐそこに言葉の違う人々が暮らしているということや、母語が脅かされるということがイメージしづらいと改めて思った。

娘のことも、故郷のことも、どうすればよかったのか?という正解はない。

戦争が愚かであるということは言うまでもないが。

まず娘のことについてはもちろん戦争の問題と地続きだけど、なんというか、個々の問題をすべて「権力のせい」に帰結させてしまっている気がしなくもない。

もしかすると、自分には「国」というものへの帰属意識があるからある程度身軽になれるのであって、戦争によって時代によっていろんな国に併合されるだとか、強制的に言葉を変えさせられるような事が発生する土地では「国」ではなく「この地」こそが我らの還る場所というより強い意識が生まれるのかもしれない。

人間にとって生まれた場所との関係というものが、いかに良くも悪くも切り離せない愛憎関係のようなものであるかということを自分自身のことも含めて自覚した。

詳しい感想は以下

west-wing.hateblo.jp

 

2 『カメオ』松永K三蔵(2024)

「カメオ」というのは犬の名前で、その犬の話なのだが、犬の様子が全然かわいくなくてかわいいので面白かった。

本を読んでちょっと笑えるっていい体験。

松永さんは『バリ山行』もよかったし、今後全部読みたい作家さんだ。

 

3 『夏鳥たちのとまり木』奥田亜希子(単行本2022 文庫2025)

犯罪(ネグレクトされているとはいえ未成年を匿う大人)が美化されることなく、やっぱりあれは間違ったことだったのだと自ら過去を顧みて思う展開に、この作者はやはり信頼できると思った。

「あなたは大丈夫だよ」という言葉は、投げかけられれば救いになる一方で、投げかけた相手が助けを求めることを封じて自分を自分の中に閉じ込めさせてしまう。困っている弱き者に手を差し伸べる方法として本当に必要なのは、然るべき人や場所に助けを求められるようにしてやることなのだ。

「対等でない(偏りのある)関係がよろしくない」というのは同じ作者の『ポップ・ラッキー・ポトラッチ』

west-wing.hateblo.jp

にもあったので、奥田亜希子さんの文章の主題はそこにある気がする。

 

4 『崑崙奴』古泉迦十(2025)

あの『火蛾』の古泉迦十氏のなんと24年ぶりの作品が出た。

唐の時代の高級官僚の間で起こった不可解な連続死事件の謎を追うという話で、古代中国という設定と自分の読解力不足で読んでいてよくわからない部分もあるのだが、それでも読み進めたくなってしまうという不思議な魅力がある。

私はわりとわからないことをわからないまま進められるストーリー運びが苦手なのだが、古泉作品にはそれをあまり感じないので、自分にとって謎と情報の開示のバランスがちょうどいいのだと思う。

 

5 『YABUNONAKA』金原ひとみ(2025)

もう登場人物がとにかく怒っていて感情爆発全力で生きているので、そのエネルギーにもっていかれそうになった。

昔は疑問に思っていなかったことが現代の倫理観ではどう考えてもおかしいとか、価値観アップデート的なことは現代を生きる誰の身にも起きていることだと思うけど、過去見逃してしまった、行動しなかった、できなかった、そもそもおかしいと気付いていなかった等々という罪の意識が人々に告発という行動を起こさせて、それを見た人がまた…という連鎖のメカニズムがうまく書かれていた。

時代の変化、自分の考え方の変化にどう適応していくかということについて思いを巡らせるきっかけになった本だった。

 

6 『イン・ザ・メガチャーチ朝井リョウ(2025)

同世代作家で最もすごいと思っている朝井リョウの新作が読めたのも今年の収穫だった。推し活文化を本当によく冷静に観察しているし、それに留まらず推し活文化が生み出している現象とは細分化していくとつまるところ何なのかということにまで視点が及んでいた。

人は物語に心を動かされるようにできている。

『スター』では何かを生み出す側の視点が描かれていたが、今作では仕掛ける側と役者と受け手というそれぞれの立場からのエピソードが語られている。

途中登場人物の全員に対して「もうやめなよ」と語りかけたくなった。

朝井リョウの小説からはいつも少なくないダメージを受けるのだが、今回もしっかりつらい気持ちになった。私はこの人を完全にこの世代の代弁者だと思っている。

 

7 『言語化するための小説思考』小川哲(2025)

今回リストアップする中で唯一の新書というか小説以外の本。

自分はつねづね「なぜこの本が人気なんだろう」とか、「この人気作、読んでみたけど合わないんだよな」と感じることが多かったのだが、

世評が高い作品を楽しめないのであれば、おそらく自分の側に、あまり一般的でない小説法が存在しているのだ(P15)

とこの本に教えてもらって、合わない本を読んでイライラすることが減ったのが収穫だった。

エンタメ読者と純文学の読者の間で最も寛容度が異なるのが「ご都合主義」関連法であると小川さんは言っていて、まさしく!!と膝を打った。

私ももちろんエンタメ小説も読むけれど、ストーリーの流れを決めるのが偶然の出来事だったりするとか、その回数が多いと感じるとなんだか冷めてしまう。

また、

「読みやすさ」とは「視点人物と読者の情報量の差を最小化する」ことによって感じられるものなのではないか(P50)

とも書かれていて、さっき『崑崙奴』のところで言った「謎が謎のまま進みすぎるのが嫌い」な理由も少しわかった。

タイトルには「小説法」とあるけど、これ以外にも自分が漠然と思っていたことをなるほどこういう風に言葉で説明できるのかと納得できる記述がかなりあって、伊達に書名に「言語化するための」とついてないなと感心しきりだった。

自分がどういう人間で、何が重要だと捉えていて、何に憤っているのかということを発見できた。意外なことに、小説についての本で自分を知ってしまった。読んだ価値があった。

 

8 『黄色い家(上)(下)』川上未映子(単行本2023 文庫2025)

 

夏鳥たちのとまり木』のバッドエンドバージョンと言ってもいいかもしれない。

読み終わってすぐ、この2作は対照的な作品だと思った。

判断能力のない若い人たちが、これまた判断能力のない大人たちに身動きを取れなくされてしまうという怖さ。

主人公は自己犠牲の精神が強い生まれながらのギバーで、自分がどうにかしてあげないとこの人はだめになってしまうと思い過ぎるきらいがあるのが生まれ持った不幸としか言いようがない。自分の存在意義を見出す方法をそれしか知らないのだ。

無自覚なテイカーたちは、与えてくれるならギバーが誰だっていいというのが、読者のこっちにはもう手に取るように伝わってくるのに、なんでお前だけ気付かないんだよ花(主人公)!と肩をつかんで揺さぶりたくなる。

でも、いくら人として未熟だからと言って、主人公らの犯した詐欺等の罪が裁かれないのはやはりおかしな話で、裁かれなかったからこそ主人公が学習する機会は永遠に奪われてしまったのもまた違った形の罰であると言える。

でもわたしがわからなかったのは、その人たちがいったいどうやって、そのまともな世界でまともに生きていく資格のようなものを手に入れたのかということだった。(P134)

それを手に入れる最後のチャンスが然るべき手順で罪を自覚し、認め、償いを経てからの更生だったのではないか。考えたことなかったけど、逮捕されたり起訴されたりすることも「透明人間のような」はぐれ者たちが社会の仕組みに加わるひとつの方法なんだな。

 

以上他にもいろいろあるけど8作をあげてみました。

他にも『砂の女』を初めて読んで口の中が砂っぽくなってくるような気がしてすごく嫌だったのに今も妙にたまに思い出してしまうとか、『国宝』を原作も読んで映画も見て違いが多すぎて箇条書きするのが大変だったとかそういうトピックもあるけど今回はここまでにします。

あと今年買った未読の本もまだたくさんある。

それでも容赦なく新年はやってくるのである。

よいお年を!