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歴史とは無数の断片の堆積物である 『歴史の屑拾い』感想

歴史の屑拾い

『歴史の屑拾い』(藤原辰史・講談社・2022)

 

発売当初からずっと読みたかった藤原辰史『歴史の屑拾い』を読んだ。

藤原さんのことは『中学生から知りたいウクライナのこと』(小山哲 藤原辰史・ミシマ社・2022)で知った。これが良書だったのだ。一言で言うと、とても冷静な本だったのだ。冷静でありながら真摯。

 

私たちは、できるかぎり、中心からの目線と同一化しないで、中心からまなざされる側にも立って歴史を眺めたいという認識で一致しています。(『中学生から知りたいウクライナのこと』9ページ)

 

はっとした。なぜ世界規模の話になると自分は大多数側にいる人間だという「無意識の意識」とでも言えるものが生まれてしまうのだろう。

そのような視点を自分に与えた藤原さんのエッセイなら読まなくては、と思っていたのだが、発売から1年が経過してしまった。

 

『歴史の屑拾い』は、歴史学者である著者の随筆集である。

歴史とは無数の断片の堆積物であり、屑拾いとは無数の断片を拾い集めることを指す。

考えてみれば確かにそうで、記録されてこなかった歴史のほうが遙かに多い。

 

無数の断片を手にして、ようやく歴史叙述の担い手は安全な位置から歴史を眺める超越的な身振りを捨て去ることができるのではないかと私は考えるようになった。(145ページ)

 

先ほど引用した一文と繋がっていると感じた。

すでに叙述された歴史というのはあまりにも大きな物語になりすぎているのだ。

これからの歴史学および歴史を生業にする人々は常に歴史というものの持つこの普遍的な部分と対峙していくのだと思う。

 

自分の頭では難しいと感じる部分も多々あったので、何年かしてまた読み返してみたいと思うけど、果たしてその時に理解できるようになっているかは自信がない。

それでもその時々でまた得るものがあるだろうとは思う。

屑拾いが大事であるというのは歴史に限ったことではなく、例えば自分が日々の中で感じる「無名の人間の日常を描いた感動的ではない小説が読みたい」という欲求や、「インターネットってなんでもわかるようで意外と生身の人間の意見って少ないよな」という気持ちに通じるものがあると思う。

そもそも小説の中の日常もネット上の個人の感情や意見の表明も大きく見れば歴史の一部であるという言い方もできそうだ。

私のこの文章も取るに足らない屑の一つとして今ここに存在しているのである。

と言うとここで今ブログなぞを書いている意味もあるように感じてくるのだった。